1846年、エミール・ガレはフランス北東部ロレーヌ地方ナンシーで、ガラス器・陶器の卸売を営んでいた両親のもとに生まれました。父親の教育方針により、ナンシー・リセ(高等中学校)に入学後は、哲学、修辞学、古典を学び、特に詩作において非凡な才能を見せました。これら文学に対する教養は、後のガラス制作においてもインスピレーションの源となったことでしょう。また、学校の外ではデッサンや風景画の手ほどきも受け、当時高名なD.A.ゴドゥロン教授のもと、専門的に植物学を学びました。ナンシーの美しい自然とそれらへの深い愛情に、豊かな教養と知的探究心が混ざり合い、幾重にも層をなして彼のアイデンティティーを形成していきました。

制作開始当初は、ヨーロッパの伝統的なスタイルに則った作風であったガレの転機は、当時のパリを席巻していた「ジャポニズム(日本様式)」と、一人の日本人との出会いによって訪れました。

1885年、農務省からナンシーの森林高等学校に留学していた高島得三、後の日本画家・高島北海との出会いにより、ガレは日本の文化を表面的にではなく、深層的に理解していきます。もともと自然への造詣も愛情も深かったガレだからこそ、日本美術に特徴的な花鳥風月、草木、昆虫といったモチーフを、自身の教養と興味によって優雅に、そして儚げに作品に写しとっていくことが可能でした。また、自身の哲学的思考や輪廻観を作品に投影するとき、ガレは特定のモチーフに象徴的な意味をもたせます。故郷ナンシーへの強い思いをバラやアザミに託し、霜が降りる一瞬に人生を切り取り、複雑な情感を作品の中に表現するジャポニスムとの本質的な出会いにより、ガレ自身は自らの血肉としての表現様式を確立していくのです。