1889年パリ万博。  ガレの作品はグラン・プリを獲得します。またこの功績に対して、フランス人にとって最高の名誉であるレジオン・ドヌール勲章が与えられ、ある批評家は「ナンシーで日本人として生まれた運命のいたずらを、祝福してあげようではないか」と述べました。日本美術との出会いは、ガレにとって杯の中の最後の一滴であったことでしょう。最後の一滴が落とされ、自身の進むべき道へ向かって才能は一気に迸り出ました。

ガラスに写しだされるモチーフは生命感に溢れ、色彩は躍り出し、多層の重なりが織り成す姿はこの世のものとも思われない艶を帯び始めました。技術的にも様々な試行錯誤が繰り返され、新色や新技術で特許も取得していきました。 ガレの芸術スタイルは瞬く間にヨーロッパ中に及び、この動きこそがアール・ヌーヴォーと呼ばれる美術運動となったのです。

1900年のパリ万博では、数百にも及ぶガラス器と家具の出品で、再びグラン・プリを獲得します。